さっぽろすーぷ
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5者会議とやらで、オリンピック開催の合意がなされたとニュースで盛んに流れています。
どんな合意なのか、WHOのHPで探してみたのですが、以外にもそのコメントは検索しても見つかりません。
英語サイトなので、検索を利用して探しましたが、コロナとオリンピック関連では「WHOは、国際オリンピック委員会(IOC)と協力して、スポーツや身体活動を通じて健康を促進するための協定に署名しました。(元記事)」という、去年の5月の記事が最新でした。
全体検索でも、今年の4月19日の「COVID-19パンデミックの影響と戦うための若者のアイデアに資金を提供します(元記事)」が「olympic」で検索した最新でした。(内容もオリンピック開催とは無関係かな)
どうもWHOはオリンピックの開催には無関心ではないかと感じます。
トップページのコロナ関連のマップですが、
となっていて、日本や西太平洋地域は欠けてます。さらに、地域別のページでは、西太平洋地域だけエラーになってしまいます。他の地域は全てリンクは生きているのに、です。
オリンピックが開催されますが、海外からの観客は原則ゼロだから、関心がないのでしょうか。選手を含めた多くの大会関係者が海外から来日しますが、その人たちへの情報はWHOは提供しないのでしょうか?
上の地図をクリックすると、世界地図に感染状況が可視化されたものが表示されました。感染状況について日本政府は「日本は死亡者数が少ないからPCR検査数が多くなくても問題ない」とか言っていたので、死亡者数のマップを見てみます。
2021年6月23日の状況です。日本は死者14,496人、感染者787,650人。死者の割合は感染者の1.84%。
医療崩壊で悲惨な状況らしいインドです。死者389,302人。感染者29,977,861人。死者の割合は感染者の1.30%。日本より低いです。以外でした。統計のマジックでしょうか。詳細はわかりかねますが。
アメリカ合衆国です。死者597,037人。感染者33,230,655人。死者の割合は感染者の1.80%。日本と同程度なのは偶然ですよね。でも、ニューヨークなんかは規制が緩和されたと聞きます。ワクチン接種が進んでいるからでしょうか。
最近、感染が再拡大しているイギリスです。死者127,981人。感染者4,640,511人。割合は2.76%。インドの2倍以上です。
都市閉鎖などの強い感染防止策を取って、ほぼ鎮圧したかの英国は死者の割合が日本やインドより高いというデータはどう解釈すべきなんでしょう。
ワクチン接種率のマップを見てみると、人口100人あたり少なくとも1回の接種を受けた人は、日本9.08人。インド15.4人。米国54.56人。英国61.42人。
過去24時間に新たに報告された死者は、日本42人。インド1,167人。米国394人。英国5人。
なんだろう、はっきり言って、これらのデータをみても感染度合いはさっぱりです。これは確かに専門家でなければ分析は不可能なのでしょう。少なくとも、死者が少ないというだけでは安全などとは到底思えません。だって、インドの方が割合は少ないんだもの。
その専門家の分科会は、「この状況でオリンピックを行うのはありえない」という事を言っていたと思います。実は、WHOはどういう事を言っているのか、一応専門家だと思うので、気になって調べてみたわけですが、それらしい記事はありませんでした。不思議です。
日本が属する西太平洋地域の情報が閉鎖されているのも不気味だし。
分科会の提言は無視されてオリンピックは開催される事になってしまいました。
安心・安全の根拠は示されること無くです。
コロナが忖度してくれるとでも思っているのでしょうか?
すごく不安なんですけど。
気象FAXの放送スケジュールや送信画像は気象庁の船舶向け天気図のページで確認できます。
ここでは、自分のPCからネットで公開されている受信局をリモートで操作して目的の気象FAXを受信します。
その受信音をリアルタイムで同じ自分のPCのFAX描画アプリへリダイレクトして、FAX画像を描画させます。
なんでそんな無意味な事をするのかというと、趣味としか言えません、hi。
今回は、「KiwiSDR Receivers Currently Online」というウェブサイトから、日本の受信局を選びました。
ソフトウェア無線機のリモート操作になります。詳細はここでは省略します。
周波数は、13986.60KHzのUSBとしました。周波数の微調整はFAX描画アプリのインジケーターで行います。
FAX描画アプリは「KG-FAX」を使いました。
プラウザからの受信音をFAX描画アプリにリダイレクトするには、以前は「ステレオミキサー」なるものがWindowsにはあったのですが、今はなくなっているようなので、別の方法を探しました。
「Voicemeeter Banana」というミキサーソフトが、かつての「ステレオミキサー」の機能を持っていたので、使ってみました。
受信画面です。
衛星画像の受信が終わり、階調バーの描画も終わって同期のみの状態です。
下半分が「KG-FAX」です。その右上に青く受信モニター(インジケーター)が表示されてます。
波形のピークを右側の点線位置に合うように、受信周波数を調整します。
上半分はKiwiSDRの操作画面です。
本来の衛星写真は
これが送信されていたので、受信画像はだいぶ乱れています。
文字の部分はほとんど読めません。
でも、目的は果たせました。
今回、ミキサーソフトをインストールして、サウンドの再生、録音は以下のように設定を変更しました。
なので、このミキサーソフトを起動していないと、録音も再生も出来ないので、使わない時は、スピーカーとマイクを選び直します。
常にこのミキサーソフトを使っていれば問題ないですが、音声リダイレクトが必要な事って、今はほとんどないので、今回のような特殊な事をしないなら、いらないでしょう。
「Voicemeeter Banana」の操作画面は以下です。
継続利用する場合は寄付をお願いしているドネーションソフトです。
A1またはA2の出力にスピーカー。B1またはB2にリダイレクトの出力。リダイレクト出力はB2になってました。
私の設定では、A1がスピーカー出力で、B2がリダイレクト出力。入力は右側のAUX側が有効でした。
昔のカレンダーを鋭意制作中です。製作?かな。日本語は色々難しいわけですが、元号も複雑でした。
元号を年代別に並べるのですが、南北朝の扱いをどうしよう、というわけです。
南北朝は無視して、元号の開始年月を基準に並べると、大化~令和まで248個の元号が並びます。(元号の数を個で数えてよいのかな?)
一方、南朝の元号を正統な元号だとすると、南北朝統一時の元号は北朝最後の「明徳」になるみたいなので、令和は232代目になります。
南朝が正統とはいえ、歴代天皇を見ると、102代後小松天皇は北朝最後の天皇であり、北朝に南朝が併合されたように見えます。
最初は後醍醐天皇の南朝が正統だとしても、その後、北朝に変わったとしても良いのではと思ってしまいます。元々は兄弟だったみたいだし。
そうすれば、年号も一本化できて、私のような歴史に疎い学生にもわかり易くて、テストで悩むことも無かったでしょう。(歴史ではなく地理専攻でしたけど。)
(今回はウィキペディアさん、有難うございました。わかりやすくまとまっていて助かりました。)
元号の年代については諸説あるみたいですが、以下のようにまとめることにしました。(右側が切れていたらウィンドウの幅を広げて下さい。)
飛鳥時代 | 1 | 大化 | ||||||
2 | 白雉 | |||||||
- | ||||||||
3 | 朱鳥 | |||||||
- | ||||||||
4 | 大宝 | |||||||
5 | 慶雲 | |||||||
6 | 和銅 | |||||||
奈良時代 | 7 | 霊亀 | ||||||
8 | 養老 | |||||||
9 | 神亀 | |||||||
10 | 天平 | |||||||
11 | 天平感宝 | |||||||
12 | 天平勝宝 | |||||||
13 | 天平宝字 | |||||||
14 | 天平神護 | |||||||
15 | 神護景雲 | |||||||
16 | 宝亀 | |||||||
17 | 天応 | |||||||
18 | 延暦 | |||||||
平安時代 | 19 | 大同 | ||||||
20 | 弘仁 | |||||||
21 | 天長 | |||||||
22 | 承和 | |||||||
23 | 嘉祥 | |||||||
24 | 仁寿 | |||||||
25 | 斉衡 | |||||||
26 | 天安 | |||||||
27 | 貞観 | |||||||
28 | 元慶 | |||||||
29 | 仁和 | |||||||
30 | 寛平 | |||||||
31 | 昌泰 | |||||||
32 | 延喜 | |||||||
33 | 延長 | |||||||
34 | 承平 | |||||||
35 | 天慶 | |||||||
36 | 天暦 | |||||||
37 | 天徳 | |||||||
38 | 応和 | |||||||
39 | 康保 | |||||||
40 | 安和 | |||||||
41 | 天禄 | |||||||
42 | 天延 | |||||||
43 | 貞元 | |||||||
44 | 天元 | |||||||
45 | 永観 | |||||||
46 | 寛和 | |||||||
47 | 永延 | |||||||
48 | 永祚 | |||||||
49 | 正暦 | |||||||
50 | 長徳 | |||||||
51 | 長保 | |||||||
52 | 寛弘 | |||||||
53 | 長和 | |||||||
54 | 寛仁 | |||||||
55 | 治安 | |||||||
56 | 万寿 | |||||||
57 | 長元 | |||||||
58 | 長暦 | |||||||
59 | 長久 | |||||||
60 | 寛徳 | |||||||
61 | 永承 | |||||||
62 | 天喜 | |||||||
63 | 康平 | |||||||
64 | 治暦 | |||||||
65 | 延久 | |||||||
66 | 承保 | |||||||
67 | 承暦 | |||||||
68 | 永保 | |||||||
69 | 応徳 | |||||||
70 | 寛治 | |||||||
71 | 嘉保 | |||||||
72 | 永長 | |||||||
73 | 承徳 | |||||||
74 | 康和 | |||||||
75 | 長治 | |||||||
76 | 嘉承 | |||||||
77 | 天仁 | |||||||
78 | 天永 | |||||||
79 | 永久 | |||||||
80 | 元永 | |||||||
81 | 保安 | |||||||
82 | 天治 | |||||||
83 | 大治 | |||||||
84 | 天承 | |||||||
85 | 長承 | |||||||
86 | 保延 | |||||||
87 | 永治 | |||||||
88 | 康治 | |||||||
89 | 天養 | |||||||
90 | 久安 | |||||||
91 | 仁平 | |||||||
92 | 久寿 | |||||||
93 | 保元 | |||||||
94 | 平治 | |||||||
95 | 永暦 | |||||||
96 | 応保 | |||||||
97 | 長寛 | |||||||
98 | 永万 | |||||||
99 | 仁安 | |||||||
100 | 嘉応 | |||||||
101 | 承安 | |||||||
102 | 安元 | |||||||
103 | 治承 | |||||||
104 | 養和 | |||||||
105 | 寿永 | |||||||
106 | 元暦 | |||||||
鎌倉時代 | 107 | 文治 | ||||||
108 | 建久 | |||||||
109 | 正治 | |||||||
110 | 建仁 | |||||||
111 | 元久 | |||||||
112 | 建永 | |||||||
113 | 承元 | |||||||
114 | 建暦 | |||||||
115 | 建保 | |||||||
116 | 承久 | |||||||
117 | 貞応 | |||||||
118 | 元仁 | |||||||
119 | 嘉禄 | |||||||
120 | 安貞 | |||||||
121 | 寛喜 | |||||||
122 | 貞永 | |||||||
123 | 天福 | |||||||
124 | 文暦 | |||||||
125 | 嘉禎 | |||||||
126 | 暦仁 | |||||||
127 | 延応 | |||||||
128 | 仁治 | |||||||
129 | 寛元 | |||||||
130 | 宝治 | |||||||
131 | 建長 | |||||||
132 | 康元 | |||||||
133 | 正嘉 | |||||||
134 | 正元 | |||||||
135 | 文応 | |||||||
136 | 弘長 | |||||||
137 | 文永 | |||||||
138 | 建治 | |||||||
139 | 弘安 | |||||||
140 | 正応 | |||||||
141 | 永仁 | |||||||
142 | 正安 | |||||||
143 | 乾元 | |||||||
144 | 嘉元 | |||||||
145 | 徳治 | |||||||
146 | 延慶 | |||||||
147 | 応長 | |||||||
148 | 正和 | |||||||
149 | 文保 | |||||||
150 | 元応 | |||||||
151 | 元亨 | |||||||
152 | 正中 | |||||||
153 | 嘉暦 | |||||||
154 | 元徳 | --正統順-- | ---------------年代順-------------- | |||||
155 | 元弘 | 155 | 1331_元弘 | 156 | 1332_正慶 | |||
南北朝時代・室町時代 | 157 | 建武 | 156 | 建武 | 南朝(大覚寺統) | 北朝(持明院統) | ||
157 | 延元 | 158 | 1336_延元 | 159 | 1338_暦応 | |||
158 | 興国 | 160 | 1340_興国 | 161 | 1342_康永 | |||
162 | 1345_貞和 | |||||||
159 | 正平 | 163 | 1347_正平 | 164 | 1350_観応 | |||
165 | 1352_文和 | |||||||
166 | 1356_延文 | |||||||
167 | 1361_康安 | |||||||
168 | 1362_貞治 | |||||||
169 | 1368_応安 | |||||||
160 | 建徳 | 170 | 1370_建徳 | |||||
161 | 文中 | 171 | 1372_文中 | 172 | 1375_0329永和 | |||
162 | 天授 | 173 | 1375_0626天授 | 174 | 1379_康暦 | |||
163 | 弘和 | 175 | 1381_0306弘和 | 176 | 1381_0320_永徳 | |||
177 | 1384_0319至徳 | |||||||
164 | 元中 | 178 | 1384_0518元中 | 179 | 1387_嘉慶 | |||
180 | 1389_康応 | |||||||
165 | 明徳 | 181 | 1390_明徳 | |||||
南北朝合一後 | 182 | 応永 | 166 | 応永元年7月5日は明徳5年7月5日 | ||||
183 | 正長 | 167 | ||||||
184 | 永享 | 168 | ||||||
185 | 嘉吉 | 169 | ||||||
186 | 文安 | 170 | ||||||
187 | 宝徳 | 171 | ||||||
188 | 享徳 | 172 | ||||||
189 | 康正 | 173 | ||||||
190 | 長禄 | 174 | ||||||
191 | 寛正 | 175 | ||||||
192 | 文正 | 176 | ||||||
戦国時代 | 193 | 応仁 | 177 | |||||
194 | 文明 | 178 | ||||||
195 | 長享 | 179 | ||||||
196 | 延徳 | 180 | ||||||
197 | 明応 | 181 | ||||||
198 | 文亀 | 182 | ||||||
199 | 永正 | 183 | ||||||
200 | 大永 | 184 | ||||||
201 | 享禄 | 185 | ||||||
202 | 天文 | 186 | ||||||
203 | 弘治 | 187 | ||||||
204 | 永禄 | 188 | ||||||
205 | 元亀 | 189 | ||||||
安土桃山時代 | 206 | 天正 | 190 | |||||
207 | 文禄 | 191 | ||||||
208 | 慶長 | 192 | ||||||
江戸時代 | 209 | 元和 | 193 | |||||
210 | 寛永 | 194 | ||||||
211 | 正保 | 195 | ||||||
212 | 慶安 | 196 | ||||||
213 | 承応 | 197 | ||||||
214 | 明暦 | 198 | ||||||
215 | 万治 | 199 | ||||||
216 | 寛文 | 200 | ||||||
217 | 延宝 | 201 | ||||||
218 | 天和 | 202 | ||||||
219 | 貞享 | 203 | ||||||
220 | 元禄 | 204 | ||||||
221 | 宝永 | 205 | ||||||
222 | 正徳 | 206 | ||||||
223 | 享保 | 207 | ||||||
224 | 元文 | 208 | ||||||
225 | 寛保 | 209 | ||||||
226 | 延享 | 210 | ||||||
227 | 寛延 | 211 | ||||||
228 | 宝暦 | 212 | ||||||
229 | 明和 | 213 | ||||||
230 | 安永 | 214 | ||||||
231 | 天明 | 215 | ||||||
232 | 寛政 | 216 | ||||||
233 | 享和 | 217 | ||||||
234 | 文化 | 218 | ||||||
235 | 文政 | 219 | ||||||
236 | 天保 | 220 | ||||||
237 | 弘化 | 221 | ||||||
238 | 嘉永 | 222 | ||||||
239 | 安政 | 223 | ||||||
240 | 万延 | 224 | ||||||
241 | 文久 | 225 | ||||||
242 | 元治 | 226 | ||||||
243 | 慶応 | 227 | ||||||
244 | 明治 | 228 | ||||||
245 | 大正 | 229 | ||||||
246 | 昭和 | 230 | ||||||
247 | 平成 | 231 | ||||||
248 | 令和 | 232 | ||||||
年代順 | 正統順 |
南北朝の元号の前の数値は開始年月日です。これで順番を決めました。
それにしても、元号の名前がかぶらないということは、当時、連綿とした昔の元号を知っていた、ということですよね。これって凄いですね。
私なんか自分の事でも、昔の事は忘れているのに。(無かったことにしたい、とも言う)。
---
なお、国立天文台の「日本の暦日データベース」では、
元中ー明徳ー応永と続いてました。
また、南北朝では、それぞれの元号での日時が併記されていました。
閏月、カレンダーではこれが曲者。大とか小とかも。
エクセルで万年カレンダーを関数で作ってみました( 元記事 )。
その時、エクセルの日付の元になるデータでは、1900年はうるう年ではないのに2月29日があるので、それ以前は一日ズレるんだそうです。
エクセルでは1900年1月1日0:00を1.0として、一日を1としたシリアル値というもので日付データを管理しています。
試しに、A1のセルに 1900/2/27 と入力すると、エクセルは自動的に日付として判断してくれます。
A2のセルに =A1+1 を入れると、A2のセルには 1900/02/28 と表示されます。日付のセル(のシリアル値)に1を加算すると翌日になるからです。
A2のセルをそのまま下にコピーすると
2月29日が表示されます。国立天文台の「日本の暦日データベース」から1900/02/25から10日間の日付を求めると
となり、1900/02/29はありません。
なので、さきほどのエクセルの表で、B列に左隣りのセルを参照して、セルの表示を和暦にすると
A列は上のセルに+1してあります。なので、エクセルでの計算上、2/28に+2をしないと翌日の3/1にはなりません。
1900/02/29を日付計算に含める時には、注意しないと存在しない2/29の為に1日ズレる事になります。
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さて、過去の日付についてですが、明治のカレンダーはどうなっているのか気になり、調べてみました。
慶応4年9月8日(1868年10月23日)に慶応年間は終わりになり、それまでの慣習だと同日が明治4年9月8日となるはずでした。
ただ、「一世一元の詔下」(一つの元号につき一人の天皇とする)というルールを定めた関連で、慶応4年は1月1日までさかのぼって明治にするという事になりました。
なので、慶応4年1月1日~9月8日までは明治元年でもあることになりました。
しかし、これは不便なので、先ほどの国立天文台の「日本の暦日データベース」では
となっていて、慶応4年も存在しています。史実でも存在しているのだから当たり前ではありますが。
---
過去のカレンダーを考える時、新暦、旧暦とか、グレゴリオ暦、ユリウス暦といったものを考慮する必要があります。
国立天文台の「日本の暦日データベース」では「西暦の日付は、1582年10月15日以後はグレゴリオ暦、それより前はユリウス暦の規則に従った日付となります。」とあります。なので、
天正10年9月18日は1582/10/04ですが、翌日の天正10年9月19日は1582/10/15になっています。
過去の日付、例えば文献などに表記されている日時は、当時利用していた暦にょるものなので、こういう扱いは合理的だし正しいと思います。
そして、旧暦問題。
日本では明治5年12月2日(1872年12月31日)まで旧暦という暦を使っていましたが、明治6年からはグレゴリオ暦に変わりました。これは具体的には以下のようになったという事です。
となり、明治5年12月02日の翌日が明治6年1月1日になってしまいました。
これって明治5年は一年の長さが328日に短くなったという事です。
旧暦では大の月(30日)と小の月(29日)が年によって違っていたり、閏月といって、年13カ月になる年があったりで、和暦と西暦との変換は計算では難しい、というか不可能では、と思います。
さらに、旧暦にも種類があるので、現代の我々が古書にある和暦の年月日が西暦だといつになるのかは、年表だよりになってしまうのも仕方ありません。
なので、私は国立天文台の「日本の暦日データベース」を信用するしかありません。このデータベースでは
神武元年1月1日以降の和暦に対応しているようです。信憑性に関しては、私の場合は信じるしかありませんが、臨機応変といった所です。
一応断っておきます。国立天文台の「日本の暦日データベース」の表示例は一部をトリミングしています。実際は
西暦・和暦・紀元・年の干支・日の干支が表示されています。
古い文献などだと干支表記があるからでしょうか。
「大化の改新」は645年と歴史の授業では教わりましたが、「乙巳の変」ともいうそうです。
今回調べてみると、暗殺事件が起きたのは皇極天皇4年6月14日(645年7月12日)。
大化は日本では最初の元号で、皇極天皇4年6月19日(645年7月17日)が大化が始まった日となっています。
データベースでは「皇極天皇4年」は1月1日までさかのぼって「大化元年」になっています。仕様ですね。改元年については補正が必要という事です。
---
最近の改元日です。
明治の改元日。上でも述べましたが再掲します。
大正の改元日
明治天皇は明治45年7月30日午前0時43分に崩御。30日は当初は明治45年だったがその後明治は29日迄で、30日から大正とする事が公式に決まった。(崩御当日に改元の詔書(明治四十五年七月三十日以後ヲ改メテ大正元年ト為ス)を発した。)
昭和の改元日
大正天皇は大正15年12月25日に崩御。午前1時だった。公式には、大正は24日まで、25日から昭和となった。(崩御当日に改元の詔書(大正十五年十二月二十五日以後ヲ改メテ昭和元年ト為ス)を発した。)大正改元と同じですね。
平成の改元日 昭和天皇は昭和64年1月7日に崩御。
令和の改元日 天皇崩御と無関係。だったら年末にすればと思ってしまう。
現在、元号法という法律に基づいて元号は決まっています。
元号が無い、または決まっていない年は、慣習で今上天皇の名前の年、神武天皇元年とか称しているので、今後天皇制が廃止になったら元号は無くなってしまうのでしょうか。昭和の次の元号をどうするかの議論では、廃止もあったそうです。
将来は西暦だけになるとか、新たに星歴とか宇宙歴なんかが出来るのかも。学生には、いや普通に暮らすだけでもその方が便利そうです。
役場などで日付を記入する時、いつも悩んでしまいます。西暦の年すらすぐ出てこなかったり。年号以前ですね。
---
過去のある日が西暦で何年何月何日なのかは、非常に複雑です。閏月とかまざると、もう私にはお手上げです。
なので、やはり年表を用意して調べるのが簡単で確実です。市販のものもいろいろあるようです。
買わなくても、国立天文台の「日本の暦日データベース」を利用して、西暦順に年表を作っておけば良いわけです。
もちろん、その都度データベースから引用すれば良いのですが、大化元年のように、改元日ではなく1月1日までさかのぼって大化元年とされていたのでは、当時の状況を再度検討せざるをえません。なので、やはりそれらを加味した年表を作っておいて利用するのが便利です。
実はエクセルで作り始めました。まだ飛鳥時代の大化~和銅が終わっただけです。645年~715年。まだ100年も終わってません。
2021年まで完了するのは、いったいいつになるのやら。
PS.
年表を作りながら、改元の日を確認したり、気になる事柄をネットで調べたりと、なかなか歴史の勉強みたいで面白いです。
なんといっても、試験が無いのが良いですね。勉強というと強いられるものですが、それが無いのは、何というか、自由でしょうか。そんな気分です。
ただ、せっかく調べても、すぐ忘れてしまうのは残念です。
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