もらい事故2
救急車に乗せられる時、酸素吸入器をつけられた。息苦しさは楽になったが、声を出すのがめんどくさい。
うなずいたりする首の動きは出来ないように固定されたので、言葉で喋るしかないのだが、胸の痛みでうまく喋れない。
病院に到着。救急処置室は大混雑。カーテンでしきられた、狭いスペースに入る。
呼吸器が外された。頭と首のCTを撮る。ストレッチャーのまま運ばれる。段差が背中に響く。
CTの検査台に乗せ替えられる時は背中が非常に痛い。
でも、他人の手で移動させられるので、痛いのは我慢。
CTの後は胸のレントゲンだそうだ。集中治療室のさっきの場所に戻る。頭と首に異常はないそうだ。
レントゲンは順番待ちらしい。弟の携帯番号を知らせたら、15時ころに来れるそうだ。
警察が来た。事故は2重の追突事故で、最初に追突された私が前の車に突っ込んだそうで、結構大きな事故だそうだ。
事故そのものの記憶は全くない。渋滞の後ろに着こうとしてから、路面に転がっていた時までの記憶が飛んでいる。
調書にサインを求められたが、調書の内容は読めないし、右手も動かせない。警察官が代書して、右人差し指の拇印を取られた。
その後、足の付け根から採血。左手甲に点滴。痛み止めの座薬を仰向けから少し体を横にして入れるのだが、背中が思いっきり痛い。
仰向けのまま、シビンで採尿。パンツを下げ、そのまま出しても良いように準備をしてもらう。結構出たみたい。
弟が到着。14時半頃だった。事故は11時頃だったと思うので、ここまで結構時間がかかっていた。私の感覚では2時間くらいなのだが。
ストレッチャー毎、2番と呼ばれる場所に移動した。処置ではなく観察スペースらしい。ここへの移動も空き待ちだったようだ。
しばらく放置される。両手の甲や手の平の傷からの出血は既に乾いている。
順番が来て、レントゲン室へ。写真乾板はストレッチャーに入れるところがあるようで、寝たまま撮影。次は左を下にして撮影。むちゃくちゃ痛い。痛みに耐えて、向きを変えた後、息が整う前に、「息を吸って、止めて」は拷問だった。
観察スペースに戻る。
しばらくして、先生らしき人が来た。検査の結果、異常はないそうだ。手の擦過傷の治療が終わったら、帰って良いそうだ。
日月は休日なので、月曜日に来院して、脳外科と整形を受診して、診断書とかもらうようにと言われた。
赤い紙片をもらった。脳外科となぜか内科に丸がついていた。
背中の打撲程度で済んで良かったと思った。
背中が痛いので、ゆっくり歩く。車寄せまで歩いて、弟の車の助手席になんとか座る。
そして病院を後にした。
背中の打撲と手の擦過傷。他は異常なし。
事故当日の検査結果がこれ。なので、当日は歩いて帰る事に。
帰宅しても、仰向けになると痛くてかなわない。なので、椅子に座って寝る。
リクライニングすると痛いので、PC用の椅子に座り、タオルケットで首を固定して寝る。
1時間ほどの細切れだが睡眠は取れる。
日月は休日だったので、火曜日に病院へ。
背中のCTを撮る。肋骨が折れているので、肋骨骨折が診断書に追加される事になった。
土曜日にレントゲンでは見つけられなかったようだ。
肋骨の骨折や背中の打撲については自然治癒なので、通院の必要なし。近所の整形外科への紹介状と診断書をもらい、その足で警察へ。
診断書を警察に提出。事故調書にサイン。事故の記憶が無いので、そのままサインするだけ。
乗っていたオートバイのトリシティは全損。その他、着ていた防寒着や配達用ボックスなども大破。スマホもヒビだらけで、車に踏まれたようだ。
帰宅しても、背中の痛みで横になれないので、椅子で寝る生活が続く。
翌々日の木曜日の夜に、胸に突然強い痛みが来た。気胸の発作だった。強い発作が2回。明け方にも1回。こっちは少しましだった。
15日金曜日に市民病院へ。
肋骨の折れた本数が1本増えて5本になった。腰骨に亀裂骨折が左右に2箇所見つかった。胸の胸骨と右肩にも骨折があった。
が、これらの骨折については自然治癒になるので、通院の必要はないそうだ。痛み止めだけになった。
胸は右肺に半分位まで水が溜まっているそうだ。こちらは事故からほぼ1週間経過しているので、週明けまで様子見となった。
担当医の関係で、翌火曜日に再度病院へ。
水は増えていない。このまま吸収される可能性があるので、2週間先の2月1日まで自宅静養となった。
この2週間は、椅子で寝る。トイレや風呂は、座らないと非常に疲れて立っていられない。
咳が出ると、非常に痛い。
鍋タイプのホットプレートに水を張って、保温で加湿したら、咳は収まった。
椅子の背もたれに当たる所を替えながら、座ったまま痛みを我慢して寝るのだが、どうにも我慢出来なくなってきた。
痛み止めを飲む間隔を6時間の制限一杯まで短くして、時々1時間ほど縮めて、なんとかする。
2月1日月曜日。病院の駐車場に止めた車から病院の入口までの50メートルほどが歩けない。
送ってもらった弟に車椅子を持ってきてもらう。この後は車椅子に乗ったままで、受付、採血、レントゲン、CTと検査。
右肺は9割近く水が溜まっていた。水というか血液と浸出液が混ざったものらしい。
緊急入院となった。
PCR検査を特別に一人で受ける。診察は対面でそのままだったのに、PCR検査は別室に検査場を仮設。先生と看護師は防護服、フェイスマスク姿で検査を実施。鼻に綿棒のようなものを差し込む。奥まで入るが、痛みは感じなかった。
検査結果が出るまで待たされ、陰性だったので病室へ。
コロナ禍なので、病室へは本人だけ。面会もダメで、入院に必要な物は、看護師さんが病棟の入口で受取り、患者へ配達するかたちになる。
洗濯物も、看護師さんに渡して、引き取りに来た人に渡してもらう。
入院翌日、背中からドレンを右肺に刺す。赤黒いワインのような液体が3リットルほど出た。
レントゲンでは、まだ40%くらい溜まったままだそうだ。
入院中もベッドでは眠れないので、ベッドに腰掛け、床上台にうつ伏せになって寝ていた。
結局、ドレンでは排出出来なかった。血液が固まってドロドロになり、ドレンでは抜けなくなっていた。
なので、開胸して中を掃除する手術をする事になった。
手術は2月10日。麻酔ガスを吸った途端に意識が無くなった。
気づいたのは翌日の午後。ラジオが鳴っていて、14時半の時報が聞こえた。体は指先まで全く動かない。
呼吸器を付けていたのだが、呼吸は苦しくないギリギリだった。
体をだれかに触られている感覚がある。今、痛い事されたら、何も出来ないからいやだなとか考えているうちに寝てしまったようだ。
夕方、目が覚めた。まだ日はあるようだった。
呼吸器を外した。咳き込むこともなく、すんなりはずし、呼吸も普通につながった。
ベッドに仰向けになって寝ていたが、背中はそんなに痛くなかった。
かわりに、足首がとても痛い。なんの痛みかわからない。足首が痛くて、足を床につけられない。
バルーンが入っているので、小便は問題ないが、大便はトイレに車椅子で移動するのだが、足首が痛いので、ベッドと車椅子、車椅子とトイレへの移動は、看護師さん数名で体を持ち上げてもらわないと移動出来ない。
一般病棟へ移動。個室だった。
足首の痛みは相変わらずで、車椅子、トイレへの移動は看護師さんを呼んで手伝ってもらう。
足の痛みは右足から少しづつましになってきた。
この後も、胸や肋骨の痛みより足の痛みとの戦いになった。なってしまった。
| 固定リンク
「心と体」カテゴリの記事
- 帯状疱疹その後(患部の写真あり)(2022.12.02)
- 腰痛から帯状疱疹(2022.11.28)
- 背中の痛みがぶりかえしたみたい(2022.06.01)
- ワクチン3回目接種(2022.03.17)
- MRI検査の原理は?(2021.08.13)
コメント